遠足の前の日
小学校の5年か6年の頃だったでしょうか。遠足の前の日、新しい靴を買ってもらい、足
を靴に慣らすためにちょっと歩いておくといいと言われたので、うちのすぐそばに流れて
いる川に沿って、夕暮れの街を歩けるだけ歩いてみたことがあります。
ふだんは歩かないような距離を、どんどん歩いていくと、あたりは住宅街から徐々に景色
を変えて工業地帯になってきました。
元来さほど出歩くほうではなかったので、うちからちょこっと離れるだけでこうも街の雰
囲気が変わってくるのだということが何だか新鮮に思えました。それが面白くて、つい長
く歩きすぎたようです。もう夕闇がかなり濃くなっていて、明らかにいつもなら帰宅して
いる時間をすぎていました。
帰ろうかな、でももうちょっと、いややっぱりそろそろ、なんて思いつつ足を進めている
と、長く続いていた工場の高い塀が突然ぽっかり途絶えて空き地が登場し、ドキッとして
足をとめました。
空き地の一画には、壊れた扇風機やエアコン、電子レンジ、それに何か自動車の部品らし
きものがうずたかく積み上げられていて、それを、やたら長い棒のようなものでひっかき
回しているおじさんがいました。
思わず立ち止まって、なんだろうと眺めているぼくに気づき、おじさんはにやっと笑って
みせました。
うすぐらい街はずれのスクラップ置き場で、にやりと笑う見知らぬ大人。
子どものぼくの眼には、それは正直かなり不気味な光景に映りました。
「坊主、これ、ゴミに見えるやろ」
おじさんはいきなり話しかけてきました。
「違うんやで。宝の山や。ここから、カネになるもんがぎょうさん取り出せるんやで。え
えやろ」
ぼくには、おじさんの言葉は殆ど意味の判らない、魔法の呪文のようなものでした。
「……さようなら」
それだけ言ってきびすを返し、来た道を思いっきり駈け戻りました。……まあすぐ息が切
れてまた歩き出しましたが。
しかし、あのゴミの山が、宝の山ってどういうことだろう。
長い間、その疑問はぼくのなかに残ることになりました。
長じて、それが工業スクラップの換金を意味するのだということが判り、あのおじさんの
行動と言葉をようやく理解するに至るわけですが、今でもこの「工業スクラップ」と言う
言葉を聞くと、まずまっ先にあのおじさんの笑顔が浮かんできます。
不気味、なんて思って失礼だったけれど、おじさんを笑顔にさせる力を持っているなら、
工業スクラップの換金というのは決して悪い魔法なんかじゃないんだろうな、と、今では
思っています。
あれも立派な職務のひとつだったんだな、と。