金のインゴット
うちに金のインゴットがあるなんて、全然知らずに過ごしていた。
父親が他界の間際に、その存在をぼくに教えていったのだ。
50gのささやかなものだが、好きに使え、と。
いつ、何を思って父親がそれを手に入れていたのかは判らない。
ぼくはといえば数年来の借金生活で、しかし年金暮らしの父親に頼るわけにもいかず、母
親はもうずいぶん前に亡くなっているから、とにかくひとりで何とかしなくては、と、あ
れこれもがいている時期だった。
離れて暮らしていても、そういうぼくの空気みたいなものを、父親は感じていたのかもし
れない。
歳の割には頑健だった父親が、突然やまいに倒れ、短い闘病生活の果てに駈け去るように
この世におさらばしていくその過程で、何度か、ぼくの生活を気遣うようなことを口にし
ていた。そのつど、大丈夫、父さんは心配しないで自分のからだを直すことに専念しな
よ、みたいな言葉を返して、父親のなけなしの年金を奪うようなまねだけはするまいと
思っていたのだが。
父親にとってそれは、最後の切り札だったのだろう。
50gの、金のインゴット。
ささやか、と父親は言った。たしかに、TVなどでよく見る1kgのそれから見れば、小さ
すぎるかもしれない。
だが、いまのぼくにとって、これほど大きな助けはほかにない。
すぐ金買取店に走ろうとした足が、しかし、とまった。
父親は細々と年金生活をかこっているあいだも、これを換金しようとはしなかったのだ。
それを、ぼくが、右から左へ借金解消のために使ってしまって本当にいいのだろうか。
借金は、毎月決まった額を払っていきさえすればいずれはなくなる……筈だ。
そして今は、何とかカツカツながらそれができている。まあひと月ふた月遅れることもな
いではないが、本気で首がまわらないほど窮しているわけではないのだ。
金買取店に走るのは、今ではない。
そう思った。
いつか、活用せざるを得なくなる日は来るかもしれない。しかし、いま使ってしまえば、
その「いつか」が訪れた時には立ち往生することになる。
金買取店に行くのは、その「いつか」が来た日でもちっとも遅くはない筈だ。
こうして、ぼくは相変わらず月末の返済日に汲々としながら生きている。
前と違うただひとつの点は、いざとなったら金のインゴット、そう呟くだけで、なんだか
勇気がわいてくる、ということだ。
実際に換金しなくても、そう考えるだけで大きな心の支えになるのだ。
父親がぼくに残した、いちばんありがたい遺産はそれなのかもしれない。
インゴットそのものよりも、そういう、心の支えを与えてくれたこと。
何ひとつ親孝行できなかったこのぼくなのに、なんと深い愛を向けてくれたのだろう。
どんなに感謝してもしきれない。
……一刻も早く借金を返して、これにこたえよう。
ため息まじりの、決意である。